This Archive : 2011年12月

--.--.-- *--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2011.12.31 *Sat

大晦日

相変わらず暖かい日が続いています。といっても、こちらに元から住んでおられる方には寒いのかもしれませんが、会津の雪雲に慣れている身には信じられないくらいです。

いよいよ大晦日、いろいろあった2011年が終わろうとしています。いつもですと冬の仕事でのんびり過ごすということはなかったので、10年ぶりのしみじみした大晦日です。のんびり過ごすといっても子供たちを相手にいつもと変わらずドタバタしているので、物思いにふけられるわけでもありません。
でも、私たちも社会も大きな変節を迎えた年でしたからそれなりに考えることもあります。
震災ばかりに目を奪われがちですが、この国の財政・経済もかなりの危険要因と考えておくべきことだと思っています。来年はいいことがたくさんあることを願うばかりですが、私たちの頭を悩ますこともまた起きることも覚悟しておかねばなりません。

そんななかでも、とにかく自分の家族には健康で普通で平凡でいてくれれば何があってもやり過ごせるような気がします。毎年末、ここに書くことですが、平凡であることがなんとありがたいことであるか、今年はとくにそう思えた1年でした。

今年も皆さんには大変お世話になりました。来年はこのブログをどうするか考えねばなりませんが、またその後の続きがあるようでしたら、よろしくお願いいたします。

2012年がよい年でありますよう。
スポンサーサイト
CATEGORY : 近況

2011.12.30 *Fri

新しい年を新たな気持ちで迎えるために

太平洋側の冬を過ごすのは10年ぶりなので、すっかり忘れていたのですが、こんなに晴天の続くものだったのですね。雪がちらつくこともありますが、毎日なんだかんだいって青い空とまぶしい太陽が拝めて、昼間は暖房がなくても暖かいのです。会津の冬の厳しさを改めて実感しています。

一昨晩、テレビの朝日系のニュース番組で、福島の原発事故の再検証をしていました。今さらこんなテレビをみて、どうなるのかとも思ったりもしたのですが、悲しいかなやはり少しでも事実に迫ることを知りたいので見てしまいました。あくまで取材による推測ということもありますが、事実はおそらくそんなところなのだろうと思えるような内容ではありました。
でも、そんなことは今頃わかっても遅いのですね。事故は実際に起き、逃げ遅れあるいは線量の高いところにわざわざ逃げてしまった人がおり、たいへんな被ばくをしてしまっています。これから政府や東電の隠ぺい・無責任体質を正すくらいのことはこれからもあるいはできるかもしれませんが、起こってしまったことについては何を今さら、という感はぬぐえません。
そして、当の番組でも「当時の自分たちマスコミの報道体制の問題」を多少申し訳なさそうにほんのひとことだけ触れていましたが、それこそこの番組できちんと検証・説明してもらいたいものだというのが、私の感想でした。

当地神戸の地方紙「神戸新聞」を連れ合いの両親のお宅で読んでいると、地元の原発設備メーカーの所長さんのインタビューが載っていました(神戸にとってはこの会社は最大の事業所なので、たびたびこの会社のことが記事になります)。
このメーカーは、北海道・関西・九州・四国の電力会社に原子炉を納めているのですが、もちろん今は新規の工事は止まっており、原発ビジネスの先は見通せない状況のようです。それでもいまは、例のストレステストの仕事がたくさん入っていて600人体制でコンピュータによるシミュレーション作業を行っているとのこと。
要するにストレステストは電力会社でやっているわけではなくて、こうしたメーカー・下請けにやらせて体裁を整えて国に提出するということになっているわけですね。
それでもメーカーにとっては、仕事量の確保と早期の原発再稼働、そして原発設計技術の伝承のためにはとてもありがたい仕事となっているようです。
こうして国や電力会社が原発メーカーを食わせている姿をみると、原発ムラはまだまだ健在ということがよくわかり、落胆してしまいます。

まったく力が抜けてしまうようなことばかりですが、そんなことばかりいってもいられません。いろいろあった今年最後のブログが心の重くなるようなものにしたくないので、今日のうちにこんな話は吐き出してしまいたいと思いました。

そして新しい年を新たな気持ちで迎えたいと思います。
CATEGORY : 近況

2011.12.28 *Wed

ひとまず神戸へ無事

クリスマス寒波といったらいいのでしょうか。日本海側で大雪になっているようです。ここ神戸は年に1回か2回積もる程度だと言われている雪が、昨日うっすら積もりました。外はそれなりに寒いのですが、気密性の高い集合住宅のせいか震えるほどではなく、ほんの1週間前の暮らしでの寒さの違いに少し戸惑うほどです。

おかげさまで家族そろって、次の移住先である神戸へ到着しました。先月にはすでに引っ越しの片づけは大方終わってはいたので、住むに困るということはないのですが、まだ大きなダンボールがあちこちに転がっている状態です。イタズラ盛りの3人の子供たちを相手にしながらこれを片付けるのは思った以上にホネの折れる作業です。でも子供たちの方こそ、遊びにも連れて行ってもらえず退屈で仕方がないのだと思います。

ようやくインターネットを使える環境になりました。さっそくこれを書く気になり前の記事を確認しようとしたら、出発前に最後に書いた文章が手違いでアップされていませんでした。ようやく昨日そのまま載せておきましたので、一応ご覧ください。そこにも書いてありますとおり、山都出発の朝はまだ片づけが終わっておらず、あの記事を書く時には予定通り出発できるのか不安で仕方がありませんでした。

とにかく午後一番には出発できるように残りの荷物の荷造り、ゴミ捨て、家の掃除をせねばなりません。私は軽トラに捨てる家具やフトンなどを満載して清掃工場を往復し、お借りしていた暖房機具やテレビなどを返しに走り回っていました。連れ合いの方も、下の二人を相手しながら荷造りするのですが、どうにも捗りません。
こういう状況をどこから察知したのか、ご近所のお母さん方が次々と雑巾と手袋を手に集まってきてくださいました。子供たちのお守をかってでてくださった方もいらっしゃいます。雪で足場が悪いのに、神戸へ向かう乗用車への荷物の積み込みまで手伝ってくださいます。
私があらかたゴミの始末を終えて戻ってくると家の中はすっかりきれいになっていました。

こんなことってあるのでしょうか。

そしていよいよ出発の時間。一応前の日にひとわたり挨拶していたので、お隣にだけ声をかけてひっそり発つつもりでした。加えて、つい先日このムラで不幸ができたのでムラの中はそのお弔いでかかりきりになっていたので、私たちもご挨拶を控えた方がいいとも思っていました。
ところが、出発直前さきほどまで雑巾片手に汗を流してくださった方々が見送りに来てくださいました。

こんなことってあるのでしょうか。

私たちはただの他所者だと思っていました。都合よく入ってきて、都合よく出て行って。それなのに、最後の最後までこんなによくしてくださって・・。

田舎暮らし・農的生活をしたいと思ってきた10年。田畑を耕し、できるだけ自分たちの手でモノを作って自給的な暮らしをする。それだけを考えて生活してきたのですが、その生活の中で得られた大事なものを私はすっかり見落とすところでした。

名残を惜しみながら、長年見慣れた風景を深く心に刻みつけながらムラを後にしました。

その後、いつもお世話になっていたパン屋さんによってお見送りをうけ、上の子を学校に迎えに行き、そこで先生方のお見送り、保育所に寄ったらそこでも次男の組の子供たち全員が元気にお見送り、どこでも温かいことばをかけていただきました。

離れてみて、この町の、この町の人たちの優しさ、これまでの生活の本当の豊かさに気づかされた旅立ちでした。
CATEGORY : 近況

2011.12.22 *Thu

お世話になりました。(2011.12.22)

今日、ここ会津を離れるというのに、外はちょっとした降雪になっています。これからクリスマスにかけて大雪・荒天になるとのこと。なんとかぎりぎりその前に出発できるといいのですが。

再移住を決断してから9か月。いよいよお別れの時がきました。最後はもう少しゆっくり雪なども楽しみたかったのですが、最後の引っ越しの片づけがなかなか終わらず、家の中の掃除も実はまだ終わっていません。長男の学校の終業式が終わるまでが勝負です(終業式といえば、私たちのころは朝から式があって、掃除して、通信簿もらって、ホームルームがあって11時くらいには帰れたものですが、最近の学校は午前中も普通の授業があって、午後に終業式となっているのです。いつのころからか学校も土日が休みになったのでカリキュラムを消化するのも大変なのでしょう)。
午後一番に発って、長男を学校で拾い、一路西へ向かいます。

昨夜、ムラの1軒1軒を訪ねて、最後のご挨拶に上がりました。名残惜しいのはやまやまですが、皆さんのお顔を拝見して悔いなくここを離れる気持ちの整理がようやくつきました。あとは、ただ次の世界でまたひとつひとつ自分たちらしい生活を作るだけです。

このブログのタイトルは「ねこみみの農的生活記」となっておりますので、今回がこのテーマでの最後の更新となります。長い間お付き合いをいただき誠にありがとうございました。
このブログの続きはあるのか、とよく聞かれるのですが、まだなんとも決まっていません。運よくすぐに就職が決まって、仕事が忙しくなると書けないかもしれないし、あまり暇でも書くことがないかもしれません。今、考えているのは、外から見た福島・会津のことをテーマとしてこちらの人に見てもらえるようなものにしたいと思っています。期待なさらず、お待ちいただければと思います。
当面はこのブログをそのまま使って、到着後の様子など少しですが、書いておきたいと思っています。

最後になりますが、お世話になりました賢谷(かしこだに、と読みます。私はこのムラの名前が大好きでした)のみなさん、ありがとうございました。またIターン仲間の方々、山都町のみなさん、そして私を最後まで応援してくださった方々に心より御礼申し上げます。行ってまいります。 2011年12月22日(木) 午前5:20記

CATEGORY : 近況

2011.12.20 *Tue

430(2011.12.20)

喜多方の市街地はそうでもないですが、山都町はすっかり銀世界になってしまいました。今年も年末・クリスマス大雪との天気予想がでています。どうやら私たちが旅立った翌日あたりからが怪しいようです。前倒しで低気圧やら強い寒気やらが来ないことを祈ります。

さて、いよいよ我が家の最終退去日が刻々と近づいてきました。家の片づけ・掃除はもちろんですが、近所へのご挨拶も大切です。本当は1軒1軒、中でお茶でもいただきながらいろいろお話したいのはやまやまなのですが、如何せん残された時間はあまりにも少ない。
用事で車を使って外出する時も、すれ違う車の運転手が知り合いだと深々と頭を下げるなど、いい加減ですが私なりに最後のあいさつのつもりです。

家の片づけをしているとテレビニュースでは大騒ぎ。北の指導者が亡くなったようです。このことをきっかけに、北の国に監禁されている日本人たちを解放することにつながってくれればいいのですが。
今年は(も)いろんな出来事がありました。残りわずかの今年がせめてこのまま平穏で過ごせることを祈りたいです。
CATEGORY : 近況

2011.12.18 *Sun

429(2011.12.18)

寒さもだいぶ厳しくなってきました。雪も毎日のようにちょこちょこと降り積もり、いつ大雪を降らせてやろうかと伺っているようにも見えます。なんとか今くらいの降り方で、私たちがこの地を離れる日まで我慢してくれているといいのですが。

会津の空の下にいられるのも、あと残り数日となりました。短かった冬の仕事も昨日ようやく無事にお勤め終了です。お世話になりました。
住所変更の手続きやら荷物まとめやらゴミ捨てやら、それに方々へのあいさつ回りがだいぶ残っています。

先日Iターン仲間の忘年会があり、楽しい時間を過ごしました。みなさんから心温まる励ましの言葉をたくさん頂戴し、とても感激いたしました。こうした力強い仲間がいてくれていることは、何にも代えがたい心の支えになります。最後に記念写真を撮っていただいたのですが、みんないい笑顔しておられました。いつまでもこの町でこの笑顔が絶えぬよう、心から願っています。
CATEGORY : 近況

2011.12.12 *Mon

428(2011.12.12)

本格的に寒くなってきました。週間天気予報の半分くらいは雪マーク。今積もっている雪はこのまま根雪になりそうです。

当地での生活もあと10日ほどを残すばかりになりました。あと1週間くらいは仕事に追われそうなので、すぐにその日がきてしまいそうです。本当なら雪の会津をもう少しゆっくり楽しみたいところですが。

忘年会を兼ねた送別会も始まりました。ソフトボールクラブ、堰(田んぼの水路の保全)、仕事仲間、Iターン組、そしてこのムラの人たちとも名残を惜しみました。ありがたいことです。
そういえば、前の会社を辞める前も、連日のように送別会やってもらいました。続き過ぎて、体調不良になって大変でした。健康診断で血液検査で引っかかってびっくりしたのを思い出しました。

年末に向けて、飲みすぎないように注意します。
CATEGORY : 近況

2011.12.03 *Sat

427(2011.12.3)

いよいよ師走に突入。この1年も早かったです。今年もいろいろありましたが、とにかくいろんな意味で残り1か月。安全無事に実りあるものにして終えたいものです。

引越しは終わったので、本でも読んでのんびり過ごす予定でしたが、近所の農家のお手伝いを頼まれたり、これまでお世話になってきたスキー場から最後に準備を手伝えといってくれたりしてそれなりに時間が埋まってきました。
先月、本の整理をしていたら、学生のころに買った原発関連のものがいくつか出てきました。学生の頃の自分にも原発に対しての問題意識(反原発という意味での)があったことに少しほっとしました。これを引越しの荷物に入れず、こちらに置いたのでいくつか読み返してみました。
原発は危険だ、という意識はもちろんあったものの、それは普通に運転していても放射性廃棄物処理の問題が解決していないとか、人の少ない地方にばかり建設する考え方がけしからんといった批判ばかりで、実際にそれが暴走したときどのようになるのか、そこまで意識して読んでいなかったことに反省。米国スリーマイル島やソ連チェルノブイリのように原発事故はまたどこかで起こりうることは予想していたけれど、それが我が国で起こるとは正直思っていなかったということは、結局私も安全神話を無批判に受け入れていた一人であったのです。

「東京に原発を」(広瀬隆 集英社文庫 1986年)は、事故の規模や発生の仕方に多少の違いはあるものの、予想される政府の対応については、避難すべき国民へ正しい情報が迅速に伝えられないであろうことを予告していました(それは全く今回のフクシマの事故で行われた対処そのものでした)。そして1960年には、国は深刻な原子力災害の被害の広がりをかなり詳細に検討し、その損害額まで算定していたというのです。それは当時政府極秘報告書(通称S報告)→大型原子炉の事故の論理的可能性及び公衆損害額に関する試算-としてまとめられていたそうです。(当時は、東海第一原発17万kw(熱出力50万kw)での事故を想定していたようですが、実際はその後に建設されたお隣の原発で事故が起こったということになります。)
被ばくで人が死んだら1人当たり85万円の損害(賠償)などと想定されており、逆にいえば、どの範囲までなら賠償しても国のサイフが持ちこたえられるのかを試算したものだったのかもしれません。
今回のような事故に対して、政府としての対処方針が決まっていたと考えることもできるわけで(もちろんそれは国の仕事としてまっとうなコトではあるけれど、そういう方針・考え方もあらかじめ教えておいて欲しかったですね)、事故直後に設定された同心円の意味もおそらくその線にそったものだったのでしょう。
CATEGORY : 近況

プロフィール

nekomimi

Author:nekomimi
2001年夏に東京の会社を辞め、農業を中心とする生活をするため福島県会津地方へ移住。
連れ合いと3人の息子、犬のもも、ネコのリンと賑やかな田舎暮らしをしています。

URL ねこのめ ねこのみみ



カレンダー

11 | 2011/12 | 01
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31



カテゴリー



ブログ内検索



リンク



最近の記事



月別アーカイブ



FC2カウンター



Copyright © ねこみみの農的生活記 All Rights Reserved.
テンプレート配布者: サリイ  ・・・  素材: bee  ・・・ 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。